Bisonの危機

    イエローストーンはバッファロー(以下Bison)にとってアメリカで残された最後の生息地だ、とも言われ世界中で最も数多く生息している場所でもある。イエローストーンに訪れる観光客の思い出にBisonは強く鮮明に彼らの記憶に刻み込まれる。Bisonはイエローストーンに欠かすことの出来ない重要な要素なのだ。しかしBisonは公園内だけに留まり生き延びていくことは出来ず、冬になると餌を求め標高の低い公園の外へ出ていく。イエローストーン生態系に生息するBisonの中にはBrucellosis(ブルセラ症:感染すると流産する)に感染したものも何頭かおり、公園に隣接する農家の家畜に伝染すると地元農家から懸念されている。もし家畜に感染することがあればこれは地元農家だけでなくモンタナ州の家畜産業にも多大な悪影響を与えることになってしまうのだ。そのためこの程モンタナ州と連邦政府はこの野生のBisonをイエローストーン生態系から除外するような行為をとっている。この決断は単にBisonの数を減らすだけでなくアメリカの歴史上最も成功したと言われているBisonの保護活動をも水の泡になろうとしている。1902年イエローストーンには23頭のBisonしか生息しておらず一時は絶滅に瀕していた。

    1800年後半のハンティングと密猟によりBisonの数は激減し、 1902年には23頭という数字にまで落ちた。絶滅を心配した公園管理者が21頭のBisonをCanadaなどから持ち込み、人工授精させ数を少しずつ増やしていった。この努力が実り、1954年には1,477頭まで戻すことが出来た。しかし1968年頃からBrucellosisが懸念され始め公園の敷地を出たBisonは射殺されるようになったのだ。しかし実際殺したBisonのなかで本当にBrucellosisに感染しているのはわずか3%だそうだ。1996年―1997年の冬は例年に比べ特別厳しく多くのBisonが餌を求め、境界線を越した。その冬に人間によって殺されたBisonは1084頭、餓死したBisonを合わせるとおよそ1500頭ものBisonが冬を越せずに死んでいった。

  この病気はBrucella Abortusと言う細菌から感染し、家庭で飼われている動物や家畜、又人間にも感染することがあるという。(症状は異なる)この細菌は体液の接触により感染する。人間も解体業者が時々粘膜の接触で感染することがある(Undulant Fever)。今現在有効な治療法は見つかっておらず開発されたワクチンも100%効き目がある言えない状況だ。一番最初にこの病気がBisonに見つかったのは1917年だったが、専門家によれば元々は家畜に存在していた病原菌が牛の母乳で育てられたBisonの子供に感染したのが初めてだったと言われている。

    牛の場合この病気は、血液検査や群の歴史また病状でBrucellosisと診断される。しかし最も確実な診断方法は牛を解剖し細菌がいそうなところを部分的に培養することだという。イエローストーンのBisonは血液検査を用いたのだが、このやり方ではどうしても病原菌を持ったBisonを過剰概算してしまう。 Brucellosisによって家畜産業は多数のダメージを受けることになってしまう。まず子牛の流産、そして生まれても成長が遅い、子牛の生産が遅れる、牛を仕入れる際手間が増える、検査とワクチンの費用、など膨大な費用がかかってしまう。又、自分の家畜に一頭でも感染した牛がいたらそこで飼われている家畜全てを処分しなければいけないという。現在モンタナ州では他の州や国外へ出荷する際牛をBrucellosisの検査を通すことが義務づけられていない。それがもし義務づけられることになれば、モンタナ州の家畜産業に巨額な経済的悪影響を与えることになってしまうのだ。

    この様に家畜業者と公園管理者の間にジレンマが生じているのだが、Bisonにしてみれば公園の外中関係なく、生き延びるために餌を求め放浪しなければならい。しかし今のままではBisonが生き残りをかけて、標高の低い公園の敷地外へ移動すると、皮肉にもそれは同時にBrucellosis退治の標的になってしまうのだ。Bisonに公園と個人所有地の境界線など存在しない。それが野生というものであり、それがイエローストーンのいいところであり実体なのだ。檻がなく人間に飼育されていないのがイエローストーン国立公園だ。大自然は人間が再現して制御するのではなくありのままを残すのが人間の使命なんだと思う。 家畜業者はBisonが自由に放浪することによって、牛がBrucellosisに感染する危険性が増えると主張しているが、実は今日まで家畜がBisonから病気を感染したという記録はどこにも残っていないのだ。イエローストーンは設立当時から"ありのまま"の大自然を残すことを念頭に置き管理してきた。例えば、公園内の設備や道路は全敷地のおよそ3%しかない、人間はあくまで"お客さん"という形をとってきた。そんな強いポリシーを持ちながらなぜ今更生態系を変えようとしてしまうのか。イエローストーンの歴史の中で我々はもうBisonと狼をそれぞれ絶滅の危機に瀕しさせた罪がある。このままこの様な行為を続けていけば過去の数千頭もの動物の犠牲を代償に得た教訓が全く意味のないものになってしまう。今まで通りのポリシーに従えば、イエローストーンの生態系が最優先されるべきで病気を持っているBison持っていないBison関係なく手当たり次第射殺するのは、初心を全く無視した管理になる。感染のリスクが懸念されるのなら射殺という処置より家畜と野生のBisonが近づかないように努力がされるのが先決ではないのか。