Fire of 1988

 

1998年夏:Grand Teton National Park "Emma Fire"

大自然は我々を魅了し、そして脅威にさらす。今年中米を襲ったハリケーン"ジョージ"。最大風速70km、推定死者2000人。1995年1月17日阪神大震災。中国での大洪水。我々は風の強さに圧倒され、大地の揺れにおののき、水の力に恐怖を覚える。1988年イエローストーンでの山火事も大自然の力を再度思い出させるいい機会であった。 人類は火と共に進化し、文明を築いてきた。人間社会の中では火は抑制され、コントロールされてきた。自然界も同様、火は生態系の一部であり、必要不可欠なものなのだ。火によって虫や病気に犯された木々が一掃され、新しい芽がでてくる。いわば山火事は世代交代へ一役かっているといえるのだ。しかし、人々は自らの価値判断により山火事をあまり歓迎しない。

1988年イエローストーン生態系地域の山火事は1872年設立以来、空前絶後の注目を浴びた。この年を機に人々は山火事を理解するようになり、10年たった今、自然生態系での火事の必要性が認識され始めた。1988年初夏、イエローストーン生態系地域は記録的な干ばつにみまわれた。雨は6月から3ヶ月間全く降らず、気温も上昇、そして7月と8月には例年の倍の稲妻が時速30km−60kmの風と共にイエローストーンを襲った。記録では7月5日、24時間の間に2000もの稲妻が落ちたという。この年の夏イエローストーン国立公園内では50の火事が発生しその内41が稲妻によって始まり、残りの9は人間の火の不始末により始まった。通常、火事は人間によって始まったか、人命や設備を脅かさない限り、"監視"という処置以外なにもなされない。しかしこの年の7月中旬あまりにも火が広がったため、公園管理者によって公園内の全ての火事に対して消火活動がなされる、と発表した。8月20日、この日は1日に16万エーカー(647、520平方キロメール)という膨大な広さを焼き尽くし後に"Black Saturday"と呼ばれるようになる。この三ヶ月もの間に総勢2万5千人もの人員(消防隊員、陸海空の軍人、ボランティア) が動員された。彼らはみな黄色い防火服を着用することが義務づけられていたが、この防火服実は熱までは遮断してくれず、隊員は中に綿地の服を着て暑さをしのいだという。また万一を考えて、消火活動の現場にはシェルターが設けられ火が極度に悪化し避難が不可能だと判断されたときに使われた。持ち物は必要最低限にとどめ、グローブ、ヘルメット、懐中電灯、応急処置キット、食料、と消火器具だった。この器具はシャベルと斧が一緒になったものを使い、隊員は横一列に並び地道に根気よく火を消していったという。時には火の広がり予測するために小型コンピューターを用いることもあった。もちろん人間だけでなく100台の消防車、数十台のヘリコプターとブルトーザーも出動し数千万リットルもの水と消火剤と振りまいたが彼らの努力も虚しく、火は9月11日、雪が降るまで激しく燃え続けた。結局アメリカ政府は$1憶2千万ドルを消火活動に投じたが人間の力は到底自然の力には及ばなかった。

専門家によると、皮肉にも人による消火活動は最終的な鎮火を早めることはなかっと言われている。 多くの人々は動物が受けた被害を心配したが、鹿、バッファロー、クマ、などの比較的大きな動物はあまり被害を受けなかった。数頭のオオツノジカ(Elk)は炎から数メートルの距離から目撃されているなど、あまり火に怯えた様子はなくむしろ落ち着いていたという。またバッファロー(Bison)は焼け跡に入りミネラルを摂取するために、灰を食べていたという。イエローストーン生態系に生息する35000頭の大型動物の内多くて300頭がこの火災によって死んだ。246頭のオオツノジカ、9頭のバッファロー、4頭の鹿、そして2頭のヘラジカが死体で見つかった。大型動物は火事そのものより、食料を探すのに苦労したため、火事と言うより干ばつにより被害を受けた動物の方が多いと言える。一方リスやネズミなどの小動物が一番被害を受けた。炎が巣を焼き尽くし草や木などの隠れ場も失われたため、ワシや鷹などから狙われることが多くなった。逆に大型の鳥は草原や林が火事によって焼け視界が開けたため、格好の狩り場となった。ワシや鷹はむしろ例年より多く餌が見つかり火事によって食料に困ることはなかった。ヒグマやコヨーテ、カラスなどは焼け死んだオオツノジカを食べていた時期もあった。この時期のヒグマは通常果実などを食べ冬の冬眠へと備えるのだがその様な植物は焼けてしまったので焼死した動物を食べ脂肪を蓄えていた。

さて、植物はどうこの火事に対応したのだろうか。もちろん火力の違いによって受けたダメージはちがうのだが、植物は様々な方法でよみがえってきた。なかでもロッジポール松は特殊なシステムを持ち山火事に適応している。この松には2種類の松ぼっくりあり、一つは実がなってからすぐに開いてしまうものと、もう一つはある一定の温度(火で熱するぐらい)に達してから開くものがある。後者の松ぼっくりは松ヤニに覆われていて火事にならないと開かず種が落ちない仕組みになっている。しかし中途半端に焼けた所では種がすぐリスに食べられてしまう。逆に数百度の高温で焼けた林には小動物も全て焼死したので餌として食べられる心配もなくまたロッジポール松は土が多少浅くて栄養分が少なくとも育つたくましい木なのだ。十年たった今良く焼けた場所ではもう5,60cm程育った松がある。 火事になれば美しい風景と大切な資源が失われてしまう、と人間は勝手な価値観から、一方的に火事から得られるものは何もないと考えてしまう。しかしイエローストーンの生態系には火事は必要なもので、再び健康な山に戻るためのビタミン剤といえるのだ。1988年の大火事の後アメリカ全土の小学校で募金が集まり、そのお金で苗木を買って植林してくださいと、国立公園に届いた。しかし自然界に人間の手を極力加えないというポリシーからその案を受け入れることはできなかった。しかし公園側は子ども達が少ないお小遣いをだしあって貯めた募金を無駄にはできないと、深く考えたあげくそのお金を火事の教育にあてるにしたのだ。それは車椅子の子でも通ることの出来る最も火事がひどかった地域の遊歩道建設という素晴らしいものだった。1988年ほどの大火事は250年から400年に一回あると言われている大規模なものでもうこの子ども達が見ることはないかもしれないが、きっといつかどこかで小規模な山火事を見たときに山火事の必要性について思い出してくれるのだろう…。